「食育」の先駆者・村井弦斎

HOMEMIC FUN「食育」の先駆者・村井弦斎第3回:明治の教育の「三育」と食育

第3回:明治の教育の「三育」と食育

スペンサーが説いた「知育・徳育・体育」

今回は「食育」という言葉に関連する「知育・徳育・体育」という言葉のルーツをさかのぼることにしましょう。1968(明治元)年の維新以後、西洋の進んだ科学技術文明を目の当たりにした明治新政府は、新時代にふさわしい教育制度をつくり、優れた人材を育成することで先進国に追いつこうとします。

1971(明治4)年には文部省創設、その翌年には学制が施行されています。同年、独立自尊と実学の必要性を説いた福沢諭吉の『学問のすゝめ』も出版され、空前のベストセラーになりました。そのなかで、教育の基本は「知育・徳育・体育」の三育だといわれるようになります(当時の表記は「知育」より「智育」の方が一般的ですが、以下「知育」で統一します)。この「知育・徳育・体育」が日本に定着したのは、イギリスの哲学者・社会学者ハーバート・スペンサー(HerbertSpencer、1820-1903)の教育論からだと考えられます。

教育には、頭と心と身体の教育の「三育」がある

明治10年代の日本は、スペンサーの著作が数多く翻訳され、“スペンサーの時代”と呼ばれるほどでした。彼が1860年に出版した"Education;Intellectual,Moral,andPhysical"は、日本では「スペンサーの教育論」として有名なもので、尺振八(せきしんぱち)の訳で1880(明治13)年に『斯氏教育論』と題して刊行されたのが最初です(斯氏はスペンサー氏のこと)。

スペンサーの原著は、第一章が教育内容論、第二章がIntellectualEducation、第三章がMoralEducation、第四章がPhysicalEducationという構成になっています。つまり、教育を「頭の教育・心の教育・身体の教育」という三つに分類しているのですが、最初の尺振八の1880年の訳では「知育・徳育・体育」という言葉ではなく、「心智ノ教育・品行ノ教育・体躯ノ教育」となっていました。しかし、その2年後に伊沢修二が日本人として初めて出版した教育学書『教育学』では、スペンサーの教育論にならって「知育・徳育・体育」の三つの章を立てていますし、小田貴雄が1885年にスペンサーの教育論を訳した『斯辺鎖氏教育講義』では、「知育論・徳育論・体育論」になっています。西周(にしあまね)も当時、「知育・徳育・体育」のことを「三育之説」と呼んでいるので、明治の知識人層の間では、教育の三育ということが認識されていたといえるでしょう。ちなみに、西周は英語のphilosophyの訳語として「哲学」という言葉を考案した思想家です。

「徳育論争」から道徳重視の「教育勅語」へ

スペンサーの教育論の「体育」の章には「食事について」という一節があり、これが「食育」に近い内容だといえますが、あくまでもスペンサーが語ったのは「知育・徳育・体育」の三つです。むしろ、当時の日本で問題になったのは三育の優先順位で、日本人は西洋人に比べて体格が劣るという理由から、「体育」を重視する一派がいました。対外戦争に備えた軍国教育の一環として、体育が重視されるのは当然だったともいえます。一方、極端な欧化政策への反動から、儒教主義を唱えて「徳育」を重視する人々が登場してきたことで、「徳育論争」が始まりました。その後、「徳育重視」派が盛り返し、1890(明治23)年に公布された「教育勅語」では、当初の草案から知育と体育を縮小し、徳育を柱とする教育へと大幅に修正されています。「教育勅語」以後、それまで他学科の一番下に位置づけられていた「修身」が、首位に移されることになり、大正・昭和を通じてこの順位が変わることはありませんでした。

「食育」という言葉が登場したのは、この「徳育論争」のすぐ後でした。次回は、この言葉を最初に使った人物について紹介したいと思います。

「知育・徳育・体育」を説いたハーバート・スペンサー

スペンサーの教育論の最初の日本語版『斯氏教育論』(尺振八訳、国会図書館蔵)

著者プロフィール

黒岩 比佐子(くろいわ ひさこ)

ノンフィクションライター。1958年東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、PR会社勤務を経てフリーに。『「食道楽」の人 村井弦斎』(岩波書店)で2004年度サントリー学芸賞を受賞。主な著書に『音のない記憶--ろうあの天才写真家 井上孝治の生涯』(文藝春秋)、『伝書鳩--もうひとつのIT』(文春新書)、『日露戦争 勝利のあとの誤算』(文春新書)がある。2007年12月に最新刊の『編集者 国木田独歩の時代』(角川選書)と『食育のススメ』(文春新書)を出版。2008年8月「歴史のかげにグルメあり」(文春新書)を出版。
古本好きで毎週のように神保町に通い、4年前から古本に関するブログ「 古書の森日記 」を公開中。

※ 著者は2010年11月17日、逝去されました。