「食育」の先駆者・村井弦斎

HOMEMIC FUN「食育」の先駆者・村井弦斎第8回:「食」に関する3つの法則

第8回:「食」に関する3つの法則

仙人のように山中で暮らす

村井弦斎が断食研究を本格的に始めたのは、50代に入ってからでした。当時、彼は『婦人世界』という月刊誌に生活改善や婦人啓蒙のための記事を執筆していましたが、断食体験レポートも同誌に連載しています。さらに、その連載をまとめて『弦斎式断食研究』という単行本も出しています。

そして、弦斎の「奇人」という評判を決定的にしたのが、56歳から始めた「天然食」の実験でした。弦斎のいう天然食とは、人間が栽培したものではない自然の草や木の実を採取し、野鳥や川魚や虫を捕って食べるというもので、いわば原始時代の食生活に近いものだったといえるでしょう。

1920(大正9)年9月、弦斎は現在の東京都青梅市の御岳山の山中にテントを張って、天然食生活を実践します。冬が近づくと、竪穴式住居を作って一人で越冬し、ついに半年間を山中ですごしたのでした。この山中穴居生活は話題を呼び、野次馬が見物に来たり、当時の新聞には「仙人のような暮らしをしている」と冷やかし半分に書かれています。

御岳山に建てた竪穴式住居と村井弦斎(『婦人世界』1921年2月号口絵)

「食物は人生の大本」

周囲から嘲笑されても、弦斎は自分の信じる道を突き進みました。食餌療法から各種の健康法の研究、さらには漢方薬の開発にまで関心領域を広げた彼は、1921年に『難病の治療法』という本も出版しています。とはいえ、病気に苦しむ患者に効果があっても、弦斎が考案した食餌療法は、学問上の裏付けがないという理由で、いかがわしい民間療法として片付けられ、医学界からはまともに取り合ってもらえませんでした。

弦斎が『食道楽』を書いたのは、まだビタミンさえ発見されていない時代です。そのため、栄養学の進歩に伴って、『食道楽』の記述には不正確な点や矛盾する点なども出てきました。そこで、弦斎は1920年に旧版の『食道楽』の文章を大幅に改訂し、巻末に自分の長年の食物研究の成果を付記した『十八年間の研究を増補したる食道楽』という本を出版します。

この本の序文で、弦斎は「食物は人生の大本ですから、何程研究しても尽くる所がありません」と述べています。「食物は人生の大本」という言葉には、まさに彼の長年の思いが凝縮されているようです。

「地産地消」をいち早く提唱

『十八年間の研究を増補したる食道楽』には、弦斎が『食道楽』以後にさまざまな実験を試み、そこから体験的に到達して自ら整理した3つの原則が書かれています。この3つの原則は、現在の「食育基本法」がめざしていることと、それほど大きな違いはないと思います。

とくに、以下の〈食物の原則〉の「成るべく新鮮のもの」と「成るべく場所に近きもの」は、いまよく言われる「地産地消」(地元で産出したものを地元で消費すること)の考え方と一致するといってもいいでしょう。

食物の“旬”を忘れ、便利さを追求するあまり、冷凍食品やインスタント食品などに慣れすぎてしまった私たちは、いま改めて「人間にとって食とは何か」ということを考えるべきではないでしょうか。「食育」もそこから始まるという気がします。

 〈食物の原則〉
  第一 成るべく新鮮のもの
  第二 成るべく生のもの
  第三 成るべく天然に近きもの
  第四 成るべく寿命の長きもの
  第五 成るべく組織の稠密なるもの
  第六 成るべく若きもの
  第七 成るべく場所に近きもの
  第八 成るべく刺戟の寡(すくな)きもの

 〈料理の原則〉
  第一 天然の味を失わざる事
  第二 天然の配合に近からしむる事
  第三 消化と排泄との調和を謀(はか)る事
  第四 五美を具(そな)うる事
  (五美とは味の美、香の美、色の美、形の美、器の美のこと)

 〈食事法の原則〉
  第一 飢(うえ)を待って食すべき事
  第二 良く咀嚼(そしゃく)する事
  第三 腹八分目に食する事
  第四 天然を標準とする事

著者プロフィール

黒岩 比佐子(くろいわ ひさこ)

ノンフィクションライター。1958年東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、PR会社勤務を経てフリーに。『「食道楽」の人 村井弦斎』(岩波書店)で2004年度サントリー学芸賞を受賞。主な著書に『音のない記憶--ろうあの天才写真家 井上孝治の生涯』(文藝春秋)、『伝書鳩--もうひとつのIT』(文春新書)、『日露戦争 勝利のあとの誤算』(文春新書)がある。2007年12月に最新刊の『編集者 国木田独歩の時代』(角川選書)と『食育のススメ』(文春新書)を出版。2008年8月「歴史のかげにグルメあり」(文春新書)を出版。
古本好きで毎週のように神保町に通い、4年前から古本に関するブログ「 古書の森日記 」を公開中。

※ 著者は2010年11月17日、逝去されました。